小さいころ、一番好きな話は『シンデレラ』でした。
私は覚えていないのですが、母曰く、
世界名作劇場の『小公女セーラ』も、
好きだったのだそうです。
耐え忍べば、
誰かが、救いの手を差し伸べてくれて、
主人公を幸せにしてくれる。
そういうストーリーですね。
でも、社会人になった頃からか、
こう思うようになったのです。
「なぜ、自力で何とかしないの?」
と。
シンデレラが、
家事全般を楽しんで、進んでやっているなら、
別に良いと思うんです。
でも、実際は、虐げられてますよね?
どうして、やられっぱなしなのか。
なぜ、「NO!」と言わないのか?
やり返しても3対1で負けるのかもしれませんが、
知恵を絞るとか、逃げるとか、
何か、方法はなかったのでしょうか?
でも、自分自身の中にもあるな。
「誰かに、自分を見出してほしい」
というような願望が。
でも、実際は、
幸せも、夢も、
誰かが叶えてくれたり、
おぜん立てしてくれるものではなく、
自らの手で作り上げたり、
掴みとったりするものなのではないでしょうか。
シンデレラみたいに…などと思ってるようじゃダメやで!
という、自分自身への戒めを込めた、
本日のブログなのでした。
私は覚えていないのですが、母曰く、
世界名作劇場の『小公女セーラ』も、
好きだったのだそうです。
耐え忍べば、
誰かが、救いの手を差し伸べてくれて、
主人公を幸せにしてくれる。
そういうストーリーですね。
でも、社会人になった頃からか、
こう思うようになったのです。
「なぜ、自力で何とかしないの?」
と。
シンデレラが、
家事全般を楽しんで、進んでやっているなら、
別に良いと思うんです。
でも、実際は、虐げられてますよね?
どうして、やられっぱなしなのか。
なぜ、「NO!」と言わないのか?
やり返しても3対1で負けるのかもしれませんが、
知恵を絞るとか、逃げるとか、
何か、方法はなかったのでしょうか?
でも、自分自身の中にもあるな。
「誰かに、自分を見出してほしい」
というような願望が。
でも、実際は、
幸せも、夢も、
誰かが叶えてくれたり、
おぜん立てしてくれるものではなく、
自らの手で作り上げたり、
掴みとったりするものなのではないでしょうか。
シンデレラみたいに…などと思ってるようじゃダメやで!
という、自分自身への戒めを込めた、
本日のブログなのでした。
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