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昨年の今日、阪神大震災からちょうど20年の時に書いた

(そして、公開はしていない)文章ではありますが、

気持ちは今も変わらないので、

手直しをして、改めて、

こちらに掲載させていただきたいと思います。



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震災の年、私は中学1年生でした。

その年の3月7日、愛媛に住む祖母が危篤だと知らされ、

愛媛に行くため、神戸を通りました。



母は数日前から愛媛に行っており、父と妹と3人で、

愛媛に向かいました。

(結局、3月7日、私達が到着した数時間後に、祖母は亡くなりました。
 祖母の死因は、震災とは関係ありません)



いつもなら、新大阪駅から新幹線に乗り、

岡山で特急に乗り 換え、瀬戸大橋を渡るのですが、

新幹線どころか、普通電車でも運行していない区間があり、

JR尼崎駅から普通電車に乗り、途中歩いて再び電車に乗り、

岡山に向かいました。



JR立花駅を過ぎたあたりだったと思います。

父が私たちに、

「窓の外をよく見ておけよ」

と言いました。



電車が進むにつれ、

ブルーシートと崩れた建物がどんどん増えていきました。



テレビで神戸の街を見た時、

「この世の終わりや」

と感じた街並みが、目と鼻の先に、

まだそのまま残っていました。



窓の外を見ても、その時は、

「つらい」「悲しい」といった感情は湧いてこず、涙も出ず、

唯一、感じたことが、

「ここにいた人達のこと、私にはわからへん」

ということだけでした。



今も当時も尼崎に住んでいて、

震災時は私の住むマンションも揺れました。

食器が割れ、棚から物は飛び出し、

2段ベッドの上で寝ていた私は、

「ベッドが倒れる!」と思いました。



本当に怖かった。



家の中はぐちゃぐちゃになり、一時断水にはなりましたが、

マンションも大きな損傷はなく、震災で誰かを亡くすこともありませんでした。



それは、間違いなく幸運なことです。



だけど、

電車の窓の向こうの、目の前の崩れた建物にいた方達が、

どんな気持ちだったのか、

震災で大切な人を 亡くすとは、どういう気持ちなのか、



当時も今も、自分は想像力が豊かな方だと思っていますが、

どれだけ想像しても、それは想像にしかすぎず、

被害のなかった私には、被災した方達の気持ちがわかるわけがない。

そんな自分に、一体何ができるというのか。



阪神大震災から20年以上経った今も、その気持ちはずっとあって、

あれから、日本にはいくつもの自然災害がありましたが、

その度、「何かしたい」と思っても、



「そんな自分に、一体何ができるだろう」



という気持ちは、私の中にずっとある。

東日本大震災では、募金はしばらく続けていましたが、

それ以外は何もできない状態が続いていました。



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暗い話になりましたが、

そんな自分の気持ちがちょっと変わった というお話を、

明日のブログでしたいと思っています。




結貴ゆきFacebookページ
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2016.01.17 Sun l 考えたこと。 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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