「人の記憶は、(自動的に)次の世代に受け継がれるわけではないのだ」
という、当たり前のことに気付いたのは、今年の初め。
卒業した大学が発行しているOB向け機関紙を読んだ時でした。
今年は、阪神大震災から20年。
機関紙には、
「私たちは、阪神大震災の時には生まれていなかった・震災のことを覚えていないので、
体験者から話を聞いて学んでいる」
という趣旨の、現役大学生の話が載っていました。
阪神大震災のことを、「学ぶ」?
阪神大震災のことを、知らない?
と、当初、とても驚いたのですが、
冷静に考えたら、そうなんですよね。
20年前には生まれていなかった学生さんや、
幼くて、覚えていない学生さんばかりなのは、当たり前のこと。
そして、改めて感じたのです。
「記憶が受け継がれるのは、誰かが語ったりして、記憶のバトンを渡すからなのだ」
という、至極当たり前のことを。
あれだけ大変なことがあったのだから、
少しくらい、DNAに記憶が織り込まれるとかして、
受け継がれても良さそうなものを とも思うのですが、
そんなことをしたら、きっと、余計な記憶までが受け継がれてしまったり、
しちゃうんでしょうね。
阪神大震災だけでない。
その後、日本は東日本大震災も経験したし、
70年と少し前、日本は第二次世界大戦も経験した。
受け継ぐ記憶、
受け継いでいくべき記憶は、
つらくても、やはり、語ったり、文章にしたりして、
後世に残す。
そういうこと、大切だと思います。
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