私は、このブログで、
熱心な歌舞伎ファンが言わないであろうことを伝えたり、
「そこから見るか!?」というような、ちょっとズレた視点から、
歌舞伎についてお届けしたいと思っているので、
正直なところ、こういう正統派な知識は、他のサイト様を見ていただいた方が…良いかとは思うのですが…
昨日のブログと併せて解説があった方が親切かと思い、ガンバることにします!( ..)φ
屋号 というのは、お店の名前 のことなのですが、
歌舞伎俳優には、全員「屋号」があります。
大向こう(=掛け声)はなぜ姓や名ではなく、屋号なのかということについて、
私が聞いたことがあったのは下の2つ。
(1)江戸時代には、士農工商の士(武士)以外は苗字が許されなかったことから、
商人や大きな農家などにならって、役者も屋号を用いるようになったのではないか
(歌舞伎 on the web「歌舞伎俳優名鑑 現在の俳優篇」http://www.kabuki.ne.jp/meikandb/rikai/yago.htmlより)
(2)「おれはあの役者の屋号を知ってるんだぜ」という「芝居通」アピール
(ほぼ日刊イトイ新聞「大向こうの堀越さん」http://www.1101.com/oomukou/より)
ネットでざっと調べる限り、屋号の説明として、(2)説を挙げていらっしゃる方が多いように思います。
上記(2)の堀越さんのお言葉をより正確に引用するなら、
“堀越:そもそも日本人は舞台を観て感動したときに、
「拍手をする」というよりは
「囃す(はやす)」というのが
普通だったらしいんです、どうやら。
やんや、やんやと囃し立てる。
それがだんだん洗練されてきて、
屋号などを掛けるようになったんじゃないかと。
ほぼ日:「中村屋」とか。
堀越:ええ。
江戸のころ、芝居をやっている人に
名字はありませんでしたからね。
「おれはあの役者の屋号を知ってるんだぜ」
という「芝居通」としての
自負心も満足させられたようですし。”
ということで、(1)(2)の二つの理由が合わさって、大向こうは屋号なのかな と個人的には思っています。
TVなどでもよく見る、現在の役者さんの主な屋号をざっと挙げると…
・成田屋:市川海老蔵
・松嶋屋:片岡愛之助、片岡仁左衞門、片岡我當、片岡秀太郞
・髙麗屋:松本幸四郎、市川染五郎
(おもだかや)
・澤瀉屋:市川猿之助、市川中車(=香川照之)
・音羽屋:尾上菊五郞、尾上菊之助、尾上松也
・中村屋:中村勘三郞(十七・十八代目)、中村勘九郞、中村七之助
・成駒屋:中村鴈治郞、中村橋之助
・播磨屋:中村吉右衞門
・萬屋:中村獅童
すいません、私の趣味で、TVではあまり見ないかも…?という方も数名足しています。
そして、私、屋号をあんまり覚えていなかった・・・!!
本当、えらそうにブログ書いてしまって申し訳ありません
知ってたけど、調べていて改めて面白いな~と思ったのは、
・ひとつの屋号を複数人が使っている場合も多い
・同じ姓でも、違う屋号の場合もある
・同じ名跡(=代々受け継がれる名前のこと)でも、屋号が違う場合がある
ということ。
同じ姓でも違う屋号 というのは、姓が同じでも家が違う ということで、
歌舞伎ファンには違和感ありませんが、
何だかちょっと、不思議な気もします。
同じ名跡でも というのは、例えば、片岡愛之助さん。
皆さんがご存じの愛之助さんは6代目。
「片岡愛之助」は、5代目の屋号だけが「松廣屋」、
初代・2・3・4・6代目は「松嶋屋」なのだそうです。
でも、複数の役者さんがひとつの屋号を使うって、冷静に考えたらどうなんでしょう、
だって、例えば「松嶋屋!」と大向こうをかけたとしても、
舞台上に何人も「松嶋屋」がいる ということが、ありうるわけで
(おそらく、シチュエーションで、誰への大向こうか、だいたいはわかると思うのですが)
ひとりに対しての大向こう!ってはっきりわからなくても良かったのかな?
それとも、「舞台上の全松嶋屋に大向こうをかける!」ということなのでしょうかね…?
あと、個人的に気になるのは、歌舞伎役者の姓について。
江戸時代は、武士以外には名乗れなかったはずですが、
高校生の時の日本史の教科書にはっきりと
「市川団十郎」「坂田藤十郎」などと、姓も書かれていたわけで。
大っぴらに名乗れなかっただけで、当初から「市川」とか、姓を名乗っていたんだよね?と思うと、
当時の歌舞伎役者のかぶきっぷりがすごいというか…反権力感ハンパないというか…
これって、現代の感覚だったら、どんなカンジなんでしょうかね?
無免許なのに医師をやってる、ブラックジャック的な…?違うか。
熱心な歌舞伎ファンが言わないであろうことを伝えたり、
「そこから見るか!?」というような、ちょっとズレた視点から、
歌舞伎についてお届けしたいと思っているので、
正直なところ、こういう正統派な知識は、他のサイト様を見ていただいた方が…良いかとは思うのですが…
昨日のブログと併せて解説があった方が親切かと思い、ガンバることにします!( ..)φ
屋号 というのは、お店の名前 のことなのですが、
歌舞伎俳優には、全員「屋号」があります。
大向こう(=掛け声)はなぜ姓や名ではなく、屋号なのかということについて、
私が聞いたことがあったのは下の2つ。
(1)江戸時代には、士農工商の士(武士)以外は苗字が許されなかったことから、
商人や大きな農家などにならって、役者も屋号を用いるようになったのではないか
(歌舞伎 on the web「歌舞伎俳優名鑑 現在の俳優篇」http://www.kabuki.ne.jp/meikandb/rikai/yago.htmlより)
(2)「おれはあの役者の屋号を知ってるんだぜ」という「芝居通」アピール
(ほぼ日刊イトイ新聞「大向こうの堀越さん」http://www.1101.com/oomukou/より)
ネットでざっと調べる限り、屋号の説明として、(2)説を挙げていらっしゃる方が多いように思います。
上記(2)の堀越さんのお言葉をより正確に引用するなら、
“堀越:そもそも日本人は舞台を観て感動したときに、
「拍手をする」というよりは
「囃す(はやす)」というのが
普通だったらしいんです、どうやら。
やんや、やんやと囃し立てる。
それがだんだん洗練されてきて、
屋号などを掛けるようになったんじゃないかと。
ほぼ日:「中村屋」とか。
堀越:ええ。
江戸のころ、芝居をやっている人に
名字はありませんでしたからね。
「おれはあの役者の屋号を知ってるんだぜ」
という「芝居通」としての
自負心も満足させられたようですし。”
ということで、(1)(2)の二つの理由が合わさって、大向こうは屋号なのかな と個人的には思っています。
TVなどでもよく見る、現在の役者さんの主な屋号をざっと挙げると…
・成田屋:市川海老蔵
・松嶋屋:片岡愛之助、片岡仁左衞門、片岡我當、片岡秀太郞
・髙麗屋:松本幸四郎、市川染五郎
(おもだかや)
・澤瀉屋:市川猿之助、市川中車(=香川照之)
・音羽屋:尾上菊五郞、尾上菊之助、尾上松也
・中村屋:中村勘三郞(十七・十八代目)、中村勘九郞、中村七之助
・成駒屋:中村鴈治郞、中村橋之助
・播磨屋:中村吉右衞門
・萬屋:中村獅童
すいません、私の趣味で、TVではあまり見ないかも…?という方も数名足しています。
そして、私、屋号をあんまり覚えていなかった・・・!!

本当、えらそうにブログ書いてしまって申し訳ありません

知ってたけど、調べていて改めて面白いな~と思ったのは、
・ひとつの屋号を複数人が使っている場合も多い
・同じ姓でも、違う屋号の場合もある
・同じ名跡(=代々受け継がれる名前のこと)でも、屋号が違う場合がある
ということ。
同じ姓でも違う屋号 というのは、姓が同じでも家が違う ということで、
歌舞伎ファンには違和感ありませんが、
何だかちょっと、不思議な気もします。
同じ名跡でも というのは、例えば、片岡愛之助さん。
皆さんがご存じの愛之助さんは6代目。
「片岡愛之助」は、5代目の屋号だけが「松廣屋」、
初代・2・3・4・6代目は「松嶋屋」なのだそうです。
でも、複数の役者さんがひとつの屋号を使うって、冷静に考えたらどうなんでしょう、
だって、例えば「松嶋屋!」と大向こうをかけたとしても、
舞台上に何人も「松嶋屋」がいる ということが、ありうるわけで
(おそらく、シチュエーションで、誰への大向こうか、だいたいはわかると思うのですが)
ひとりに対しての大向こう!ってはっきりわからなくても良かったのかな?
それとも、「舞台上の全松嶋屋に大向こうをかける!」ということなのでしょうかね…?
あと、個人的に気になるのは、歌舞伎役者の姓について。
江戸時代は、武士以外には名乗れなかったはずですが、
高校生の時の日本史の教科書にはっきりと
「市川団十郎」「坂田藤十郎」などと、姓も書かれていたわけで。
大っぴらに名乗れなかっただけで、当初から「市川」とか、姓を名乗っていたんだよね?と思うと、
当時の歌舞伎役者のかぶきっぷりがすごいというか…反権力感ハンパないというか…
これって、現代の感覚だったら、どんなカンジなんでしょうかね?
無免許なのに医師をやってる、ブラックジャック的な…?違うか。
スポンサーサイト